オーロラサーモン®
プロジェクト

Aurora Salmon Project
「北極圏でサーモンを生産し、新鮮なまま日本へ届ける」
常識破りな夢の実現

第三者が生産した食材を買い付け、そのまま販売するという流通・販売スタイルは、私たちの経営理念にはそぐいません。オーシャン貿易では、何もないゼロの状態から開発することを信条としています。
日本はもちろん、世界で愛されるブランド—サーモンとなった「オーロラサーモン®」は、北極圏育ちのノルウェーサーモンです。 オーロラサーモン®の詳細はこちらをご覧ください。
私たちがとことん惚れこみ、パートナー会社と共に開発した「オーロラサーモン®」が広く認知されるようになるまでの道のりは、決して順風満帆なものではありませんでした。この小さな誕生秘話を皆さまにお伝えすることで、私たちの商品に対する想いの断片を知っていただけるのではないかと考えました。ぜひ「オーロラサーモン®」を別の角度から覗いてみてください。

窮地こそ、考えて動く
「ピンチをチャンス」に打開

オーシャン貿易の「ノルウェー産サーモン輸入プロジェクト」は、1990年半ばに始動しました。ノルウェー最大手の水産物輸出業者・レロイ シーフード社(以下、レロイ社)、と共同で、サーモン専用の輸送チャーター便を年間100便運航することに。当時はまだ北欧からの空輸ルートが未整備というなかでの異例のこと。鮮度のよい状態でノルウェーから空輸する道筋を立て、全国の卸売市場ルートで圧倒的なシェアを誇りました。
しかし、2000年初頭には各国の航空会社がビジネスのグローバル化を始め、北欧→アジアルートの航空便を増加。これにより、競合他社でも鮮度のよいサーモンを小分けにしてほぼ連日空輸できる状況に一変。航空運賃も低価格の一途をたどり、オーシャン貿易×レロイ社のチャーターサーモンは、急速に他社へシェアを奪われていきました。
この頃、商品にもひとつの問題が生じていました。地球の温暖化が進み、夏場になると北欧でも水温が15℃以上になり、市場の顧客からサーモンの品質の低下を指摘するクレームが多発したのです。それでも代表の米田はこうした状況に屈することなく、毎日悩み続けました。そして、ある構想が浮かびます。
当時、養殖場の中心地であったノルウェー南部から、夏場でも海水温が上昇しない北極圏で養殖を行えばよいのではないか──。
この前代未聞の発案に、周囲からは「そんなことできっこない」「無理に決まっている」と失笑まじりの厳しい声が飛び交いました。
しかし、生産パートナーであるレロイ社は、米田の進言を真摯に受け止め、本格的な調査へ着手。同時に米田は、チャーター機が日本の空港に到着してから通関するまでの待機時間の長さもサーモンの品質劣化につながっていることも問題であると考え、空港環境の整備について関係当局と地道な交渉を始めたのです。

最高のブランドサーモン
プロジェクトが始動

2003年、オーシャン貿易に2つの大きなチャンスが訪れます。養殖サーモンの過剰生産が原因で発生した世界的なサーモン市況の下落により、養殖場、加工施設の倒産が相次ぎました。数少ない北極圏の養殖ライセンスと加工施設が売りに出ていることを知った米田は、即座に現地へ飛びます。レロイ社のスタッフと共に、北極圏の手つかずの自然と、低い海水温で養殖が可能な生産環境を目の当たりにし、両社は成功を確信。オーシャン貿易が価格を確約し、一定数量のサーモンを買い付けることを条件に、レロイ社は北極圏にサーモン養殖場を開設するという決断を下しました。

これが「日本国内最高峰のブランドサーモン」を目指した〈オーロラサーモン®プロジェクト〉の始まりです。オーロラサーモン®の養殖で特筆すべき点はたくさんありますが、当時、レロイ社との協議のためにノルウェーと日本を何度も往復していた米田が一番こだわったのは、サーモンを育てる「餌」。日本人が好む「脂が乗りつつ、さっぱりとした味わい」のサーモンに育てるために、独自の餌のレシピを共同開発。養殖臭をできる限り無くすために、水揚げ前に餌止めする期間を通常より長めに設定するなどの調整も続けました。
また、サーモンの品質の違いを日本のお客さまに理解していただくために、当時では珍しかった量販店で使用するMD(販促)シールやトップボード(POPの一種)等のマーケテイングツールを開発し、販促活動を強化したのもこの頃のことです。

「偶然」を逃さず
完璧な輸入ルートを実現

物流に関しては、当初、困難を極めました。北極圏から物流ハブとなるノルウェーの首都オスロまでの陸送は道路事情が悪く、時間がかかり過ぎる。空輸では、コスト面、貨物スペースの両面から現実的ではない。暗礁に乗りかけたプロジェクトを動かしたのが、フィンランド航空が日本向けの旅客便サービスを開始したことでした。
北極圏からフィンランドの首都ヘルシンキまでは高速道路を利用。トレーラーの満載量20トンまでであれば、フィンランド航空便を経由することで、「月曜日の午後に北極圏で水揚げしたサーモンが、水曜日の午前中に日本の各空港に到着する(いずれも日本時間)」という奇跡的な物流ルートの構築に成功したのです。
この間、代表の米田は日本の主要空港におけるコールドチェーンの改善交渉を関係部局と続けていました。しかし、当時は空港到着から通関までの数時間、貨物は外で待機となるのが当たり前と捉えられていて、100回以上陳情に通っても誰一人として京都にある一介の輸入商社の主張にまともに耳を貸すことはありませんでした。それでも、本プロジェクトを成功させるには、空港の環境改善は絶対条件。米田は諦めませんでした。
八方ふさがりの状況を打開したのは、「現行の空港設備では食の安全が守れない」という米田の主張に当時の国交大臣が耳を傾けてくれたことでした。それを機に、空港会社、関係部局との交渉は一気に進み、生鮮貨物を特例として、空港外に設けた保冷倉庫に一時的に移送して通関を行うというインタクトデリバリーが実現したのです。
こうして最高の環境で生産されたオーロラサーモン®が、最速の物流で運ばれ、新鮮な状態で皆さまのもとへお届けすることが可能になりました。

そして2013年には、環境に配慮した養殖手法に与えられる世界的認証であるASC( Aquaculture Steward Ship Council) 認証をレロイ社と共同で取得。このプロジェクトを次世代にもつなげていくためにより強いパートナーシップのもと、持続可能な取り組みを続けて参ります。

事業のご案内

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